「人生楽しい」か「死にたい」か

その日1日が満足のいく内容だったかどうか、みなさんはどう判断しますか?

 

 

 

 

わたしの場合はふとした瞬間に浮かぶ言葉が「人生楽しい」か「死にたい」かで決まります。

 

 

 

 

信じられないことに、この2つのどちらかが浮かんでこない日はありません。ある種習慣化しているのでしょう。起床時間が15時だったとき、鏡で自分の姿を見たとき、八百屋で果物が安かったとき、尊敬する人と食事に行くとき……

 

 

 

 

 

もちろん本気で死のうとは思っておりません。毎日本気で死にたいと考えるような人間だったらとうの昔に精神崩壊してます。

 

 

 

 

 

イメージとしては「あ〜死にてぇ〜^^」ですね。

 

 

 

 

 

 

あ、ところで死にたいとか言うと(わたしの場合実際口にすることは滅多にありませんが)必ず「本当に死ぬかもしれない人に失礼だ」って叱ってくる輩がいるじゃないですか。あれは本当に理解できない。死ぬだとか死なないだとかは他人との比較の上で成り立つものであってはいけないでしょ。叱りたいにしても方法が間違っている。

 

 

 

 

 

 

閑話休題。とりあえず私の心の中は基本的にはこの二項対立です。自分の精神状態は両者の振れ幅の大きさで判断できます。強く「死にたい」と思う時はもちろん、「めちゃくちゃ楽しい生きててよかったサイコーー!!!!」もかなりまずいですね。

 

 

 

 

 

 

 

まあつまり、緩やかな躁鬱状態なんだと思います。

 

 

 

 

 

最近に関して言えば両者の均衡を保つ役割を担ってくれているのが配信です。

 

 

 

 

 

大抵の場合「死にたい」dayは人との関わりが極度に少ない故であることが多いです。配信でコメント上でも誰かと言葉を交わすことで少し気持ちが楽になります。反対に「人生楽しい」dayの終わりに配信をすると配信後のある意味での虚しさが自分を平静に戻してくれます。

 

 

 

 

 

 

配信を毎日続けられる理由って単純に楽しんでできる以外にもこういうところにあるのかもしれないね。

 

 

 

 

 

 

…まあでもさ、いつかはハイパーメンタルつよつよ人間になりたいよ。努力あるのみ…なのか?

 

日本語

先日中学受験用の問題をめくっていた時。

「腕が鳴る」

「腕によりをかける」

「腕をふるう」

この3つの使い分けを問う設問がありました。

 

 

これ、ものすごく素敵な問題だと思うんです。

 

日常生活でこの3つの慣用句を使い分ける機会なんて全くと言っていいほどありません。そもそも単体で使うことすらないでしょう。

 

 

「わーお、彼が料理コンテストで優勝したのか!これは僕も腕が鳴っちゃうね」

「よーし!今日は君のために腕によりをかけて料理を作っちゃうぞ」

「腕を振るってたくさん料理を作ったわ。召し上がれ。」

 

 

 

 

今時漫画でもなかなかお目にかかれない言い回しです。

 

じゃあこうした慣用句を習う意味ってなんなんだろう。

 

やっぱり個人的には、日本語の機微を読み取る練習としての側面が大きいと感じています。

 

 

慣用句は現在に至るまで習慣的に使われてきた言葉群です。

 

 

上記の3つも日常で使い分ける必要があると当時考えられていたからこそ生まれた言葉ということになります。

 

 

今我々が使うことがない言葉だとしても、そうした背景に思いを馳せることは絶対に無駄じゃないと思うんです。日本人の誇りを〜なんて大げさなことは言えないし、わたしも日本人としての誇りなんておそらく全然持ち合わせてないです。それでも、第一言語として日本語を使う人間であればその美しさを知っておいた方が人生は豊かになるのではないかと。考えます。

 

 

 

正しい日本語(あるいは正しいとされていた日本語)を使うことは、例えば電車で優先席には座らないだとかポイ捨てをしないだとか、そのあたりと近いものを感じます。いえ、正しい日本語を使うことがマナーだ!とは思っちゃおりません。それをすることで少しだけ自分の背筋が伸びるような気のする、そういうものだと思ってます。

 

 

 

だからわたしは、今では多数派の「違和感を感じる」だとか「申し訳ございません」だとか「見れる」だとかは、なるべく使わないように生きていきたい。

 

 

 

 

…とはいえこの年になってもまだまだおかしな日本語を使っていると自覚することが多々ありますし、毎日新しい語彙や言い回しを知って自分の無知さ加減に愕然としております。

 

 

 

 

 

でもだからこそ面白いよね。

 

 

 

 

ぐだぐだ散歩記録 新宿ー原宿

エアコンの効いた部屋は無気力な大学生には毒だ。あらゆるモチベーションが奪われ、体は自然とベッドに吸い寄せられる。生産的な"何か"をしなければいけないと頭ではわかっていても、至福の時間に一度足を踏み入れたが最後、なすすべもなくふかふかのお布団に堕ちるしかない。

 

 

 

いつものようにスライムのごとくぐにゃぐにょしていた私の頭に、突然ある思いつきが浮かんだ。

 

 

 

 

 

 

ウォーキングに行こう。

 

 

 

 

 

 

ウォーキングはいい。ダイエットの一貫として、長時間&長期間続けられる。ジョギングと比べて正しいフォームをキープしやすいのも魅力だし、胸を張り、目線を上げて歩けばスマホの奴隷から解放され思索の時間がもたらされる。

 

 

さて、どこにいくでもなくそぞろ歩くのも好きだが今日は落ち着いた喫茶店で本を読みたい気分。甘いものでも添えてね。

 

    

 

 

 

 

 

 

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新宿文化センターから出発。怠惰of怠惰なので時刻は15:30。今日も今日とてうだるような暑さである。散歩のお供がほしい…

 

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130円で買えるオアシス。

人生で初めてLINE Payでお買い物をした。一度やってみたかったのよ。

 

新時代の打ち出の小槌だった。底知れぬ恐ろしさを感じたので、もう使わないでおこう。レシートは電子マネーでのはじめてのおかいもの記念にとっておくことにした。

みなさんいつもありがとうございます。

 

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抜けるような青空。新宿は相変わらず間を抜けるのも難しい人混み。

 

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「AALIYA」の前を通る。しゅわしゅわフレンチトーストがリーズナブルにいただけるおすすめのお店。わりかしすきなの。

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人が減ってきた。おそらく代々木あたりなのだろう。ビル影が束の間暑さを忘れさせてくれる。

 

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こ、これは好みの喫茶店

 

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この自然学校で作る杉板のアレみたいな看板、めちゃくちゃ好き。残念ながらお盆で空いておりませんでした。

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北参道を過ぎまして

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原宿の端っこに出たー!!!ここまでくればあと少し。 

 

竹下通りを歩く。何度歩いても恐ろしい場所だ。悪いことなどなにもしていないはずなのに、一人で歩いていると常に後ろ指を差されているような気がする。私だけだろうか。

 

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ついた。「クリスティ」

想像通りの素敵な外観に期待が高まる。

 

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カウンター奥にずらりと並ぶティーカップを見て、今日は紅茶にしようと決意。

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めちゃくちゃ迷った末にスコーンセットを頼んだ。セットの紅茶はニルギリしか選択できなかった。あまり紅茶に詳しくないので余計なことは言えないが、すっきりして飲みやすい紅茶。それから、カップ&ソーサーの繊細な文様がとても好み。縁が薄く口当たりが良いのもとてもよい。

 

スコーンはしっとーーーり。メープルが美味しい。もう少しさっくりしたスコーンの方が好きではある。

 

 

 

 

 

 

とても頭が悪いクリタは追加で洋梨タルトを頼んでしまった。 

 

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お、想像していたよりずっと甘さは控えめ。タルトよりもフランに近い味わいかな。タルト生地に胡麻が使われているのが新鮮だった。、

 

 

お供の本は『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』教養があまりないためちょっと苦戦している本。店内に流れるゆったりとした時間にのまれて幾度か船を漕ぎそうになった。こいつとは長い付き合いになりそうである…

 

 

18時くらいに店を後にする。日が暮れ始める時間帯の風は心地よい。帰りはなるべく地図アプリを見ずに記憶を辿るというルールを課し、のんびり歩いた。

 

3時間かそこらでもとても充実した日々を過ごせたかのように錯覚できる。これだからウォーキングが好きなんだ。

 

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おしまい。

 

 

マスクの下では常に笑みを浮かべている

みなさんこんにちは。クリタユナです。

 

 

新しい生活様式の元、マスクをつけることがすっかり常態化しましたね。ほとんどの人は早くマスク生活から解放されたいと感じているのではないでしょうか。だってめっちゃ暑いもん。

 

 

一方ではマスクをした方が日常生活を送りやすいという方もいるかもしれません。マスクのおかげで無理に愛想笑いをしなければいけない機会は確実に減っています。「目は口ほどに物を言う」とはいえ、顔の半分以上は隠れますからね。必要な時は目尻にくっと力を入れて「ハハハ」と言っておけばなんとか凌げます。

 

 

 

 

 

 

 

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私は身長が145センチしかないので、相対的に人より顔が小さくなります。(こういうこと書くと必ず「へぇ〜自分が顔小さいって思ってるんだぁ(ニヤニヤ)」なんて輩が出現しますが、あくまで"相対的に"なんでね。言葉にはそれぞれ果たすべき役割があるんです。)

 

 

 

おそらく私に限らず女性全般の悩みでしょうが、市販のマスクって大きいんですよ。それでも不織布マスクなら子供用まで充実しておりますが、いかんせん今年の夏は暑い。下記のような冷感マスクが大活躍するわけです。

 

 

 

これなら暑さを感じにくく、メイクだって崩れません。洗って使えるのもいいですよね。

  

 

 

ただね、意外とこの系統のマスクって小さいサイズを探すのが難しい。あるにはあるのでしょうが、少なくともドラッグストアやコンビニに入ってすぐ目にとまる位置に置いてあることはない。こうなるとまず買いません。だってコンビニにもドラッグストアにも「小さめの冷感マスク」以上に魅力的なものが多数陳列しているのですから。思い出すこと自体至難の技です。冷感マスクを買いにローソンに入ったはずなのに、花畑牧場のミルクキャラメルと共に出てきてしまうのが私なのです。

 

 

 

 

こうしてかれこれ1ヵ月、フィット感のまるでない冷感マスク3枚を使いまわしながら生活しているのですが、最近頬に違和感を覚える機会が増えました。日を追うごとに顕著になる違和感に困惑しておりましたが、最近やっと原因が分かりました。

 

 

 

 

 

 

私はずっと、頬でマスクを支えていたらしい。

 

 

 

 

 

 

 

だいたいマスクがずれる原因って頬にスペースができているからだと思うんですよ。

 

 

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図解するとこうですね。

 

 

 

 

ここでちょっとアンパンマンを見てください。 

 

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ね???

 

  

 

 

 

つまり、笑うことによって本来なら耳・鼻の3点で支えるはずのマスクを、耳・頬・鼻の5点で支えることができるのです。私の顔は、意識とは関係なくサイズの合わないマスクを支える方法を会得していたわけです。おそらく道ゆく人々のマスクの下は無表情なのでしょうが、私だけは常にニヤついて歩いていることになります。炎天下の中ニヤニヤしながら歩く21歳女性、確実に暑さにやられたおかしな人間である。そう思われずに済むのはマスクが隠してくれているおかげなんですが、よく考えたらニヤつかないといけない羽目になったのはマスクのせいなんだよな。

 

 

 

 

 

 

ところで頬でマスクが引っかかりそうな顔の最適解としてアンパンマンを出しましたが、彼の耳って画像だと確認できませんね。どうやってマスクつけるんだろ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新しいマスクほしいなあ…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はじめましてと自己紹介

どうも、クリタユナです。

 

ブログを始めてみました。

きっかけは以前から父親に「これから何をするにしても文章は定期的に書く練習をしておいた方がいいぞ」と言われていたこと、せっかくのモラトリアムだから何か新しいことを始めたいと思ったこと。などなど。

 

誰かに影響を与えたい!だとか人を感動させるような文章が書きたい!などとは思っておりません。言うなればノリ。ノリと勢いで生きてきた女なので。  

 

 

 

おもちゃ箱化している頭の中を文章を書くことで少しでも整理できればいいなあと目論んでおります。

 

 

 

ではここで唐突に自己紹介。

栗田ゆな。21歳。1浪の末、早稲田大学文学部に入学。入学して以来登山やらなにやらとフラフラし続け、今年になり初めてアイドルオーディションに挑戦。最終審査で不合格。切り替えの早さには定評があり、現在毎日配信を続けながら「充電期間」と称し再びフラフラしている。生来からのひねくれ者で、友人は極めて少ない。現状にはいつもそこそこ満足しているが、それは刹那的に生きているゆえであり、未来のことを考えると死にたくなるので現実逃避しがち。

 

 

 

それから大事なことですが、ネガティブかつ余計なところでプライドの高い人間です。

 

 

 

 

いいとこないじゃん…

 

 

 

 

よろしくお願いします。