日本語

先日中学受験用の問題をめくっていた時。

「腕が鳴る」

「腕によりをかける」

「腕をふるう」

この3つの使い分けを問う設問がありました。

 

 

これ、ものすごく素敵な問題だと思うんです。

 

日常生活でこの3つの慣用句を使い分ける機会なんて全くと言っていいほどありません。そもそも単体で使うことすらないでしょう。

 

 

「わーお、彼が料理コンテストで優勝したのか!これは僕も腕が鳴っちゃうね」

「よーし!今日は君のために腕によりをかけて料理を作っちゃうぞ」

「腕を振るってたくさん料理を作ったわ。召し上がれ。」

 

 

 

 

今時漫画でもなかなかお目にかかれない言い回しです。

 

じゃあこうした慣用句を習う意味ってなんなんだろう。

 

やっぱり個人的には、日本語の機微を読み取る練習としての側面が大きいと感じています。

 

 

慣用句は現在に至るまで習慣的に使われてきた言葉群です。

 

 

上記の3つも日常で使い分ける必要があると当時考えられていたからこそ生まれた言葉ということになります。

 

 

今我々が使うことがない言葉だとしても、そうした背景に思いを馳せることは絶対に無駄じゃないと思うんです。日本人の誇りを〜なんて大げさなことは言えないし、わたしも日本人としての誇りなんておそらく全然持ち合わせてないです。それでも、第一言語として日本語を使う人間であればその美しさを知っておいた方が人生は豊かになるのではないかと。考えます。

 

 

 

正しい日本語(あるいは正しいとされていた日本語)を使うことは、例えば電車で優先席には座らないだとかポイ捨てをしないだとか、そのあたりと近いものを感じます。いえ、正しい日本語を使うことがマナーだ!とは思っちゃおりません。それをすることで少しだけ自分の背筋が伸びるような気のする、そういうものだと思ってます。

 

 

 

だからわたしは、今では多数派の「違和感を感じる」だとか「申し訳ございません」だとか「見れる」だとかは、なるべく使わないように生きていきたい。

 

 

 

 

…とはいえこの年になってもまだまだおかしな日本語を使っていると自覚することが多々ありますし、毎日新しい語彙や言い回しを知って自分の無知さ加減に愕然としております。

 

 

 

 

 

でもだからこそ面白いよね。